七夕の夜、天野宅。初七日を賑やかに過ごした。
どうやら天野は、いろんな人のところを回っているようだ。
平賀と二人で「俺達はきっと最後だよな…査定に時間がかかってるのかも。」と笑った。
BBSにたくさんのメッセージが寄せられていることを報告しつつお線香をあげ、合掌。
「どうだ?みんなが何を話しているか気になるだろう?なぁ天野。」

昨年元旦のメールのやり取り。
「いい年にしような。」「楽しくやろうぜ!」そんな感じだったと思う。
返信の際に何気なく「俺が作った美味しい雑煮があるぞ〜!食いたいだろ〜?」と書いたら、思いがけず
「食べに行っても良い〜?」と返事が来た。
まさか、元旦から来るわけもないと思いながら気楽にジョークとして書いたのに。
思いがけない反応に慌ててしまった(笑)。
1時間後、彼はちょっとはにかんだような顔で「うぃ〜っす」と現れた。
雑煮を食べ、「むちゃくちゃ具沢山だよなぁ!一関は殆ど具が入ってないんだよ。」 と美味いんだけどイメージが違うんだよな…と言いたげな顔でせっせと箸を運んでいた。
いろんな話をする中で、ボソッと「オレ、ちゃんと病院行くからさぁ」って言ってたよな。
思えばこの頃が、一番不安に苛まれていた時期だったと思う。
それから2時間ほど居て、夏帆にお年玉を差し出し「パパに取られんなよ〜!」と最後っ屁をかまし、帰っていった。復活後、最初で最後の我が家への訪問だった。

正月が明け、検査に行った天野から電話が入った。
「やばいんだよ…大腸癌だったよ。これから事務所に来てくれる?」
アトラストに集合した僕らに天野が言う。
「先生に詳しく聞いてきた。2月の2週ぐらいに手術すれば、ギリギリだけどツアーに間に合うからさ!」
「無理だよ、中止にして治療に専念しようよ!」こんなやり取りだったと思う。
一瞬間を置いて天野が言った。
「だって、俺にとって最後のツアーになるかもしんね〜じゃん。俺はやるよ!」
返す言葉がなかった…。

2月12日(だったと思う)手術の直前、ストレッチャーの上の天野と「生還しろよ!」と握手をした後、平賀と二人何故だか「天野ばんざ〜い!ばんざ〜い!」と大声で両手を振り上げたっけ。
7時間にも及ぶ大手術の後、彼は約束通り生還した。
麻酔が覚めて声を掛けた時、天野が最初に発した言葉は「今何時?」だった。
疑り深いんだよ…。ちゃんと予定通り手術が行われたのか確認したかったんだよな?

それから懸命に体力を取り戻し、4月3日…彼は予定通りツアー初日の盛岡のステージに。
すごいよ天野!何とかの一念岩をも通すってヤツかい?

そうして、1年半にも及ぶ病との闘いを彼は全うした。
決して弱音を吐く事もなく、どんな時にも未来を見つめて…。お疲れ!天野!

そういえば天野、次にお見舞いに行く時にネタが欲しいなんて思って、俺…髭伸ばしてたんだぜ!
4日間で結構伸びて…「これで、髭・S・Pだな!」なんてつまんないジョークを言おうと思ってたのに…見せたかったよ。

それからさ、夏帆の書いた手紙もう読んだか?俺には何を書いたか教えてくれないんだよ。
毎年お年玉を貰って、すっかりあいつはお前に篭絡されてたからな〜。
後でこっそり教えに来てくれよ!
そう正月でも良いよ。今度は具の少ない貧相な雑煮作って待ってるよ!

戻りたい場所に戻り、戻したい縁(えにし)を戻し、満足したような笑顔であいつは逝きました。
いろんな事、みんなに隠してたわけじゃないんだよ。本当は笑顔で報告したかったと思うよ。
ただ、タイミングを逸しただけ…。                          

7月9日  中村 貴之



★7月7日(木)  平賀和人

7月1日17時過ぎ、佳代子夫人の電話で会社を飛び出た。
18時30分過ぎ、病院に駆けつけた時はもうすでに意識はなかった。
でも声をかけるしかない。「天野!楽しかったな、最高だったな、天野!!」
心臓が確かに反応した。天野はいつでもどこでも粋なやつだ。傍にいることがわかれば
それでいい・・・。
2004年2月上旬、病院の担当医に「早ければ6ヶ月、長くても2年・・・以内です」と宣告された天野も、何故だかわからないが行きがかり上、立会人となってしまって隣にいた僕もただただ「え〜!?」「おお〜!!」まるで狩人のように歌い上げたり吠えたりしながらお互い見合って笑顔さえ出ていたと思う、とても深刻なお話だというのにね。そう云えば天野が1986年だったかハワイで挙式した時も気がついたら何故だか立会人として隣にいたなあ(笑)、それも自費で(大爆)。命に限りがあることを宣告された天野が自分自身のために選んだもの、それは治療よりもコンサート・ツアーだった。ファンの皆さんにはとってもラッキーなことでしたね。彼は今までに感じたこともないような希望と絶望の狭間で歌うような場面もたびたびあったかもしれないけど、とにかくコンサート中は水を得た魚のように気持ちが跳ねていたな。昨年のコンサート・ツアー、本編最後に必ず歌う「さようなら」の前の挨拶では「これからはどれだけ生きるかというよりは、どう生きるかがテーマです」「皆さんも一日一日を大切に」と照れながら言っていたのを憶えているかな。遠回しだったけど彼なりの言葉で各会場の皆さんにお別れのメッセージを送っていましたね。ステージから伝えたい・・・それが彼の望みでしたから。今年3月12日の渋公はその集大成みたいなものでした。サッカーに例えるなら、ドリブルで相手DFを交わして体勢をくずしながらもシュートしたけど惜しくも枠を外した。でもいいシュートだったろう、次は絶対に入れるよ!というようなコンサートだったでしょうか(笑)。
悔いのない人生などないと思っています。そんな中、天野は限られた時間を上手に使って楽しく厳しく生き抜いたなと思います。命を削って完成させた19年振りの新作「Radio days」を筆頭にこの3年間で数多くの作品を残すことが出来ました。これからはあなた方が守ってくださいね。僕は今こう思っています。「戻りたいところに戻れたNSPは期限付きだった」と。でも有難いことに、これでNSPは一生解散せずにすんだんだよね、天野のお陰でね(笑)。もう一緒にステージに立ってコンサートが出来なくなってしまったことはとても寂しいけど、当たり前のように会って当たり前のように話しながら飲んで喰うことが出来ないことの方が何か変だな、いづいな。
2005年7月3日午後、深く眠った天野の顔が笑ってる・・・天野、何がそんなにおかしい!?渋公のリベンジに成功したのか!?それとも飲みながら気の効いたジョークで僕らをまた笑わせているのか!?それとも・・・こんなに泣いてる僕らが滑稽か?何を夢見ているのか企てているのか知らないけど天野、時間だとさ。起きなくていいぞ、びっくりするから。ほら、お気に入りの渋公のステージ衣装と帽子持ってけ!!いい曲いっぱい作っとけよ。100歳コンサートは向こうでやろう!!なあ、天野。