9月7日21時に近い時刻だったろうか…。NSPの最後のステージは、いつものように「ベース、平賀和人ありがとう!」「ギター、中村貴之ありがとう!」という天野の声で締めくくられた。その声に思わず反応した僕は、無意識の内に大きく両手をかざしていた。
そして、ハッと現実に戻り、「天野滋ありがとう!」と叫んでいた。
スタッフが用意したサプライズだった…。そりゃあないよ、反則だろう!
四十九日は、例のごとく集まって執り行なったけれど、この日の事があったので、送り出す気持ちにはなれてなかった。何とも言えない喪失感に無気力な日々を送っていた。
19:00から始まった送る会は、司会の大石吾朗さんの「明るく送ってやって下さい。」
の言葉から始まった。最初の内は、(瀬尾さんの献杯前のコメントにはグッと来たけれど)懐かしい映像を観ながら旧交を暖める…そんな感じでホンワカした雰囲気で進んでいた。
中盤になり、お世話になった方々や友人のコメントの一つ一つにに心が震えた。
心のこもった「送る言葉」を本当にありがとうございました。
そして、チャー、坪さん、心に響くステージをありがとう!
そしてNSPのステージ…あんな厳しい顔で唄う僕達は最初で最後だったろうと思う。
そんな僕等に暖かい拍手をくれて、天野を送り出してくれたご出席者の皆さん、本当に感謝です。意図していたほど、明るく…という訳には行かなかったかもしれないけれど、素晴らしい会を仕切ってくれたスタッフ、そして、さながらいつものコンサートのように力強いサポートをしてくれたコンサートスタッフの皆さん、ありがとうございました。
天野もきっと、「俺を肴に酒を飲みやがって〜!」と言いながら、照れ笑いを浮かべた事と思います。幸せな奴だなあ。「幸せだよな。天野!」
これから先の事は、ゆっくり考えていきます。
NSPとしてのコンサートは難しいけれど、天野が残した作品は永遠です。
どういう形が可能なのかは分からないけれど、世の中に伝え続けていければと思っています。アトラストも、ファンクラブも存続して行くんだしね。
いつの日か、ファンのみんなと「天野」を語り合える日が来る事を願っています。

2005年9月11日 中村 貴之

 

 

 

★ 9月9日(金) 平賀和人


“空模様のかげんが〜悪くなる前に〜”とCHARが「空模様のかげんが悪くなる前に」をギター一本で歌い出した。僕らNSPがデビュー当時からついこの間までお世話になった音楽業界の関係各位に向けての「天野滋を送る会」での一幕だ。CHARとNSP・・・横文字以外なかなか結びつかないと思うが、アルバム「NSP」から「シャツのほころび涙のかけら」までレコーディングを共にし、その間にコンサートツアーで80本近く一緒だった。彼がまだ18歳から20歳くらいでバリバリのアマチュアの頃だ。東京生まれのCHARはそれまで東京より北に行ったことがなかったというがNSPのバックを務めることで東北を知ることになる。ロックを目指していたモダンな彼は(笑)東北にかなりのカルチャーショックを受けたらしい。日本ではロックは売れないと肌で感じたのも東北を回っていてのことだったとは知らなかった(笑)。そんなモダンなCHARだったが、NSPのステージを重ねれば重ねるほどフロントの3人より目立つしカッコイイし、人気も鰻のぼりとなりソロデビューの話が持ち上がる。当然の話だ。しかしデビューまでの道程はそう簡単ではなかったという。試行錯誤を繰り返しながら結局、彼のプロデューサーが日本語でロックをやりたいなら詞は天野くんに頼もうということで落ち着いたという話だった。
そして生まれた曲が「ネイビーブルー」だ。詞を見て正直驚いたという。CHARの抱いていたNSP天野の女々しい詞の世界のイメージから一転、攻撃的でセクシーで、そしてどこか女を見下したような、それこそサディスティックなその詞を見て「凄い、ロックじゃん!!」と感心しつつ何故こんな詞が書けるんだろうとも思ったという。その後、天野は「かげろう」「視線」「秋風」「波」など敢えて日本語タイトルにこだわりながらCHARのために詞を提供する。「空模様のかげんが悪くなる前に」を歌う前にCHARがこの詞の中に出てくる「民家」という言葉がどうしても引っ掛かって苦労したと。「人生」もどうかと思ったけど「民家」には・・・と苦笑いしていたが、みなさんもご存知のように天野はかならず一曲にひとつは誰も歌詞に絶対使わないような言葉を入れるということにこだわりながら書き続けていた。それが彼の作詞家としてのしアイデンティティでもあったような気がする。例えば僕らのデビューシングル「さようなら」だって、みんな当たり前のように聴いているけど、田舎に生まれ育ったヤツに「やけに真っ白な雪がフワフワ」とは書けない。東京で育った人間だからこそ出てきたフレーズだし、出だしの「やけに」はやっぱり凄いと思う。「せみの子供」なんて理科の時間だってなかなか出てきやしない(笑)。
CHARはそれでも「僕のために詞を書いている時は僕に成りきって書いてくれていたと思う。人生の中で僕のために時間を割いていてくれたと思うと今は天野くんに感謝の気持ちでいっぱいだ」と。そして彼は3月12日以来誰も触っていない天野のギブソン・ハミングバードを鳴らし始めた。このギターはCHARにプレゼントされるべきだと思った。多分、天野もそう感じたと思う。9月7日、天野のために駆けつけてくれた約250名全ての方々全員とお話することは不可能だったが、2時間という短い時間の中で今までご挨拶しなければならなかった方々にお礼の一言をちゃんと伝えられて正直ホッとしている。司会進行の大石吾朗さん最後に泣いちゃったけど、長い付き合いだったから仕方ないよ、いろいろとありがとうございました。献杯の瀬尾一三さん、遅れるっていうから僕と中ちゃんでやろうとしたらゴメン、ゴメン!って天野じゃないんだからさ(笑)、間に合って良かった!本当に感謝しています。そして送る言葉をくれたマネージャーだった渡邉徹二さん、一番天野の本性を知っていると思われる最高の友達だった松田直、若さとバカさって本当に魅力的だったね、あの頃が懐かしいね。そしてデビュー当時から自然消滅するまで僕らを担当してくれたポニーキャニオンの渡辺有三さん、そして「僕らの音楽」でNSPを受け止めてくれたフジテレビのきくち伸さん、辛い思いをさせてすいませんでした。そして最後まで暖かく見守ってくださってありがとうございました。そしてCHARの後に「風が違う」を歌ってくれた坪、いや細坪さん・・・感謝という言葉以外何も浮びません。あなたとNSPのエピソードを語り出すと一冊の本になってしまいます。
復活後の3年半は僕にとって本当に忘れられない日々となりました。その思い出を一生大事にしたいと改めてこの「天野滋を送る会」で強く思いました。「NSPの二人」はこれからも生きつづけている限り存在しますが「二人のNSP」はやはりあり得ないし、それをNSPとは呼んではいけないと思うし、天野を傷つけるようなことは今後一切やってはいけない、したくないと心に刻んだことを皆さんにお伝えしておきます。ファンはなんでも知りたがり屋で我儘だけど、もっと我儘なのがアーティストだということもそろそろ憶えてもらわないと、とっても困ります(笑)。
宮沢賢治、石川啄木そして天野滋・・・岩手が生んだ詩人。その中でも天野は最上級の知性と感性を持ち合わせたもの凄いヤツでした。