★10月31日(月)  中村貴之

 29、30と一関は人口が増えたらしいね。それも特に中年族?(笑)。
そう、僕等の母校で「高専祭」が催され、学生の自主企画である「喫茶NSP」に、全国から大勢のNSPな人達がつめかけてくれたらしい。
もう一つの目玉企画「ウォーターボーイズ」と、人気を二分したというから嬉しくなるじゃありませんか!もっとも、年齢分布は完全に偏ってたらしいけどね…(笑)。

そもそも「喫茶NSP」は、高専の三年生の時に、僕が高専祭実行委員なる役目を仰せつかったがために生まれたシロモノだ。
当時は、平賀と天野はロックバンドを、僕は川を挟んで向かい側にある一関ニ高の女の子を二人入れた、「赤い鳥」スタイルのバンドをやっていた。
やりたくもない委員に選ばれてしまった僕は、「どうせやらなきゃいけないのなら、楽しんでやらなきゃ損だ。」と持ち前のポジティブシンキングで、企画立案・予算集めに奔走したのだった。そして二つの企画、「喫茶店」と「コンサート」をやることになった。
確か、喫茶店の名前は「赤い鳥の広場」だったような(ダサ〜!)。
実現するまでは、結構大変な道のりだった…。
喫茶店は本格的なものにしたくて、行き付けの洋菓子喫茶にコーヒー豆とケーキの安価での供給をお願いしたり、コンサート用のPAを調達に走り回ったり…。
そして何より大変だったのは、他校の女子生徒を出演させるのにダメを出されたこと。
母校の説得は比較的スムーズにいったのだが、女子生徒の学校では職員会議にかけられるほどの騒ぎになってしまったのだ。保護者まで呼ばれたらしい…。
その席で、女子生徒の母親が「変な学生ではありませんから(どんな学生や!?)、認めてやって下さい。」とお願いをしてくれ、学校側は渋々、「責任者の学生に会って話だけは聞いてみましょう。」ということになったのだった。
それから数日後、詰襟の学生服姿で僕は、単身一関ニ高の校長室に乗りこんだ。
何を話したのかは全く思い出せないが、かなり熱く語った事だけは覚えている。
それから二日後、めでたくOKの返事が届いた。いや〜若かったなぁ懐かしいよ〜(笑)。

そしてコンサートには多くのバンドが出演し、結構盛り上がった。
天野、平賀のバンドも出演したと思う(たぶん…平賀どうだっけ?)。
僕等のバンドは「竹田の子守唄」「遠い世界へ」など6〜7曲やったのだが、オープニングテーマのように演奏したのが「LET'S THE SUNSHINE」という曲で、この曲だけ平賀にベースを弾いてもらったよね。
これが後の「未来ちゃん」「剛君」を生む事になるとは夢にも思わなかった(笑)。
そう僕等のバンドのリードヴォーカルが後の平賀洋子、その人だったから。
今も昔も、「文化祭」は出会いのイベントということなのか…。

結局その年を皮切りに、三年連続同じ企画でやり通した。
二年目から、店の名前が「喫茶NSP」になったのは言うまでもない。
たくさんの思い出をもたらした、忘れられないお店だ。

それが、今年再現されている事に、複雑な思いがしている。
嬉しいような、淋しいような…。
只一つ、僕らの…天野の残した足跡、作品が来場された皆さんの心を温めてくれる事を願って止まない。

ついでと言っては何だけど、近況を報告しておこう(笑)。
高専祭には行けなかったけれど、祭りには参加したんだよね。
9月下旬のとある一日。世田谷の玉川神社のお祭りで、神輿担ぎデビューを果たしました!
都内でも三番目に重い神輿とか…。いや〜はっきり言って死んだね。
AM10:00〜PM19:00まで…長〜い、辛〜い、苦しい!
さすがに、終わりの2時間は後ろを付いて歩くのが精一杯でしたよ。
天野もソロの頃、一関でテレビ絡みかなんかで担いだらしいけど、ホントに肩に隙間を作ることなく真面目に担いだのだろうか…?教えてくれ〜!

そして、キャンプ、サッカーと「おやじの会」絡みの行事がめじろ押しの日々です(笑)。
さすがにハードワークが祟って、久々の腰痛で1週間ほど苦しみました(泣)。

「おやじの会」と言えば、その中にも結構NSPを聞いていた人達がいて、来年の「○○○ 小学校創立50周年記念イベント」で、親父バンドがNSPを演奏する意気込みで練習しているらしい(笑)。ボーカルは娘達がやるとか…。親子でNSP、悪くないジャン!

BBS楽しみに見ているから、臆せずドンドン書き込んでよ〜! うんじゃ。

♪長〜い、辛〜い、苦しい…

 

 

ヘロヘロ。娘よパワーをおくれ!

 

 

さあ、気を取り直して頑張んべぇ〜。


 

★10月5日(水)  平賀和人

ママには手術させて申し訳なかったけど、ママのお腹の中、ちょっと窮屈になったし、一人じゃつまんないから2週間早めに出ることにしました。その代わり、ママにはちゃんと私だとわかるように出た瞬間、思いっ切り泣いてアピールしたんだけど、ママ私が産まれたってわかったかな?少しは安心したかな。かっこいいパパが「ミユ!ミユ!」って云うから、私の名前はイワハナミユなのかな?ずっとお腹の中にいる時に、「サカゴ、サカゴ」って呼ばれていたからイワハナサカゴだと思っていたんだけど・・・ミユかぁ・・・いい名前をつけてくれて、ありがとパパ!ママ!!
いつだったか、お髭のお爺ちゃん、お友達の送る会の楽屋で私が逆子だという話をしていた時にチャーさんという人がお爺ちゃんに「逆子はさぁ、決して悪くないよ。だって母親と同じ姿勢、同じ目線でお腹の中にいるわけだから、赤ちゃんは楽しいと思うよ」と、とってモダンなこと言っていたけど、あの時はママやパパを励ましてくれてありがと!あれで決心したようなものだよ、このままの状態で生まれようって。私のママは27、8年も前にチャーさんのレコードにサインをして貰ったことがあるっていうのが自慢なんだよ、「逆光線」っていうシングル盤にね。ママもまだまだ赤ちゃんの頃だったらしいけど。
なんだか皆、私を見てる、恥ずかしいから寝たふりしようかな、どうしようかな。
あっ!噂をすればお髭のお爺ちゃんだ。こっちに来た、来た!あっ、抱っこされちゃった。へえ〜パパほどじゃないけど思ったより若くてキャップが似合ってる〜。女の子の抱き方がお上手ね、お爺ちゃんは。なんだかとっても嬉しそう。私も嬉しそうなフリしちゃおうっと。ハイ、お爺ちゃんにサービス!!喜んでる、喜んでる、お爺ちゃん単純。もう帽子を被っているのかミユも!さすがはお爺ちゃんの孫だな、だって。好きで被ってるわけじゃないのよ。私の髪の毛はこれからもっともっと増えていくのよ、お爺ちゃんと違って。指が長いからピアニストにしようって、爺バカね!!勝手に決めないでよ、もう。でも優しそうだから許してあげる。ふ〜ん、お爺ちゃんのお友だちもミユの名前を考えてくれていたんだ。教えてくれなかったの?意地悪ね!でもどんな名前だったのか興味津々。男の子でも女の子でも、どちらでも合うような名前を考えていたんだって。お爺ちゃん、聞き出せなくて悔しそう。でも私はミユで十分満足よ!!
やった!そろそろママにも会えるみたい。どんなママかな?あれっ!?酸素マスクしてる。苦しそう・・・ごめんねママ、大変な思いをさせて。初めましてママ!ああ、ママが泣き出しちゃった。でもメチャクチャ優しい眼差しで私を見てる。あぁ、ミユって呼んでくれた。なんて綺麗な目をしてるんだろう。笑った、笑った!うれしいな。これからは毎日パパとママと3人一緒だね、幸せだな、ミユは。

岩端未由(いわはなみゆ)
2005年10月1日、午後2時53分、帝王切開手術にて誕生。2874グラム。
爺バカから未由へ  プロゴルファーになってくれ、頼む!(笑)。

みなさん、始めまして!未由(みゆ)です。
 
爺(じーじ)に抱かれて