★12月29日(木)  中村 貴之


ラジソンへ参加した皆さん、お疲れさんでした!
雪に埋もれた盛岡は、とっても岩手らしく心に染み入るものでした。
行きの車中、花巻を通過する辺り、スタッフのY氏の呟いた言葉が印象的だった。
「こんなところで良く生活するなぁ…。」平賀のケツが椅子からズルッの瞬間でした。
8年前の「一夜限りの復活」と同じ会場でフィルムを上映した事に、必然を感じました。
くい入るように画面を見つめるみんなの姿、涙でぐしゃぐしゃになった顔、どれもとても
愛しかったよ。やって良かった…本当にそう思っています。
来春の「フィルムツアー」、大勢の人が天野を感じに来場される事を期待しています。
探し続けてやってください。
今年はとても悲しい一年だったけれど、来年は良い年にしようね。
みんなにとって素晴らしい新年が迎えられますよう心より祈っています。

 

 

★12月1日(木)  平賀和人


 3年前の今頃だったでしょうか。「忘れないでね」という本人の文字で綴った言葉と写真を添えた喪中のハガキを送ったところ、反響がもの凄かったことを思い出してしまいました。喪中のハガキというと皆さんもご存知の通りあんな感じじゃないですか(笑)。子供たちと、もらった人がなかなか捨てられないような、大事にしてもらえるような普通じゃないハガキがいいよね、ということで受けて側の気持ちなど一切考えず僕なりに思いついたのが本人の残したかったフレーズを本人の文字でというものでした。
 僕はいわゆる団塊と言われる世代のすぐ下の世代で、それまでの伝統や常識的なことを理解、継承しながらも何か自分らしさや新しいことを、もっと言えばどんなに離れていても世話になった親の面倒はみたいという責任感を持った最後の世代でありながら自分の子供の世話になる気はないと考えている(僕だけかな?)最初の世代なんじゃないかと、ふと思ったりするわけです。なんと言うか最初の「親離れ子離れ日本離れ世代」とでも言うか(笑)。
 お墓に納骨するくらいなら想い出の場所に散骨して欲しいと懇願された時は悩みましたが本人の気持ちは個人的に良く理解出来る・・・そんな世代でもあります。「ちょっとビックリしましたが大切にします」、「平賀さん、・・・やめてよ、参りましたよ、もう!」「もう、捨てられなくて困っています」と喪中のハガキに対する思いもよらぬ反応が多くあり、ガッツポーズよろしく達成感めいたものを、一人で感じたりしたものでした。そんな折に僕の恩師でもある方から「お前もひどいヤツだな、よく本人にあんな文章を書かせたな」にはさすがの僕も参りました。確かにそう誤解されても仕方がありませんでしたが・・・後に彼女が入院中に治療の内容などを書き記したメモ帳の中から必要な文字を拾い集めてひとつのフレーズにしただけだったのですが・・・と説明してやっと納得して頂いたりで結局は多くの人を困らせたようでした(笑)。翌年の一周忌の法要報告ハガキでは懲りずに「みんな、元気!?」と彼女の友人、知人を励ますつもりでまたまた本人の文字で綴った言葉と写真を添えて出しましたが、忘れかけていた頃のこのハガキにもみなさん泣いたり笑ったり驚いたりと随分ご迷惑をおかけしたようです。天野でさえ「ひらがあ、頼むよお・・・、勘弁してくれよお・・・そのうち化けて出て来るぞ!」と。本当は化けてでも出てきて欲しかったよ(笑)。
 来年のNSPカレンダーはファンの皆さんにご迷惑をおかけすることになります(笑)。想い出が膨らんで「泣いたり笑ったり」あるいは人によっては「ひと声かけたくなる」ような、そんなカレンダーに仕上がったと思います。
どんなに頑張っても希望を持って生きようと思っても命に限りのあることを改めて教えてくれた天野。仮の姿でおじさんおばさん相手にこの世では最後まで大変だったけど(笑)、そろそろそっちの方では若くて可愛い女の子相手にソロコンサートでいろんな空間を楽しくツアーしている頃なのかな?羨ましいぞ、このぉ?!!(笑)。
 そうそうこの間、親父の7回忌で花巻に帰ったついでにあまり知られていない高村光太郎が晩年過ごした家や記念館を訪ねてきたけど、天野も大好きだった佐藤春夫の本をいろんな資料本の中に混じって見つけてさ、ちょっと嬉しくなったよ。宮沢賢治と親交があったのは知っていたけど佐藤春夫とも親交があったのかな?ただ好きだっただけなのかな?ちょっと時間があったら二人の関係を聞いてみてよ?よろしき!!