天野滋(vo, g)1953年5月5日 岩手県一関市生まれ A型
中村貴之(vo, g)1953年6月12日 岩手県宮古市生まれ O型
平賀和人(vo, b)
1954年1月6日 岩手県花巻市生まれ A型

1969年 国立一関工業高等専門学校(高専)在学中に中村、平賀が天野を誘い、学園祭用の先輩のバンドに参加する。そのバンドBLACK5は、先輩2人(ドラムスとキーボード)、中村(Eギター)、平賀(Eベース)、そして天野(Eギター)の5人編成だった。学祭終了後、BLACK5は解散。中村は5人編成(女性ボーカル2人+男3人)のフォークグループ結成。天野、平賀は地元のロックバンドを経て3ピースのロックバンド、サディスティック・ピンク結成。
1972年 各々のバンドが解散。中村(ドラムス、ボーカル)平賀(Eベース)天野(Eギター)の3人が再び結集、ニュー・サディスティック・ピンクと名乗る。レパートリーはカバー曲の他、英語詞のロック・オリジナルもあった。ドラムスの中村が曲によってはアコースティック・ギターに持ち替えて、吉田拓郎などのコピーを演奏。これが好評。さっそく、フォークのオリジナルも作る。オーディオ好きの先輩や友達の手を借りて作ったデモテープ「あせ」が岩手のNHKのFMリクエストアワーで取り上げられ、リクエストが殺到し11週間連続1位に。3人は一躍地元の有名人になる。そしてこの年の冬、第5回ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)岩手大会に「あせ」で入賞。
1973年 ポプコン東北大会、本選大会へと出場し、ニッポン放送賞など受賞。6月25日「さようなら」でレコードデビュー。五年生在学中という事もあって活動は夏休み等が中心であった。
1974年
 高専を卒業と同時に本格的に音楽活動をするために上京。4作目のシングル「夕暮れ時はさびしそう」35万枚のヒット。アルバムNSP。「ひとやすみ」はヒットチャートの3位に。超多忙になったメンバー達は3人あわせて30キロも体重が減った。暮れに東京で初のワンマンコンサート。
1975年 アルバム「おいろなおし」「2年目の扉」立続けにリリース。両アルバムともチャート10位以内をキープ。初の全国縦断コンサートツアーを開始する。
1976年 「赤い糸の伝説」がスマッシュヒット。アルバム「シャツのほころび涙のかけら」リリース。天野、オールナイトニッポン第2部のDJ開始。また、ソロアルバムも制作する。
1977年 「弥生つめたい風」がヒット。特に九州などではチャートの1位になるところも。天野、初のエッセイ集「歳時記」発売。アルバム総売上100万枚突破。御褒美にみんなでヨーロッパへ観光旅行に行く。
1978年 「八十八夜」静岡などでスマッシュヒット。アルバムは常にトップ10へ突入。初のベストアルバム「青春のかけら達」を2枚組でリリース。
1979年 デビュー7年目を記念して「NSPと7回乾杯をする会」開催。NSP新解釈ゲームで「ねこ、さる、ぺんぎん」が優勝。天野、風邪をこじらせ肺炎で入院。
1980年 天野、クリスタルキングの「蜃気楼」「処女航海」を作詞。またエッセイ集「見上げれば雲か」出版。8月2日大雨の中、田園コロシアム野外コンサート決行。
1981年 デビューからの原盤ディレクター萩原氏から日朝氏へ交代したのをきっかけにNSPのサウンドに変化。賛否両論飛び交う。問題作「The WIND`S SONG」リリース。
1982年 東北新幹線やまびこイメージソング「めぐり逢いはすべてを越えて」リリース。天野、石川ひとみに「ひとりじめ」「君は輝いて天使にみえた」提供。映画「遠野物語」テーマ曲、平賀がボーカルをとることに。
1983年 中村ソロコンサート。天野、堀ちえみの「夕暮れ気分」作曲。横山みゆきをプロデュース。
1984年 平賀、TARAKOをプロデュース。メンバーはそれぞれ活動をしつつ、NSPとしてもセルフプロデュースでアルバムを制作。
1985年 コンサートツアー「FLYTO THE MOON」を最後にソロ活動を目指して中村脱退。
1986年 天野と平賀に新メンバーを2人加え、4人組のNSPとしてスタート。NSPオフィス設立。結果的にラストアルバムとなった「アポカリプス」リリース。NSPはデビューからこの年までに、シングル通算28枚、アルバムは通算21枚(ベスト2枚を含む)をリリースし、アルバム売り上げ合計は当時では破格の300万枚を超えた。年平均7、80本のコンサート・ツアー中心の活動を頑なに守り、当時のNSPはテレビ等のマスメディアに登場せず、その素晴らしさを「クチコミ」で伝えたグループ、いわば「知る人ぞ知る」といった存在でもあった。
1987年 平賀脱退を期に事実上NSP自然消滅。その後、平賀はポニーキャニオンのディレクターとして活躍。平松愛理、ゴーバンズなどのヒットを出す。
1988年 天野ソロ活動開始。シングル「VISITOR」アルバム「BECAUSE OF YOU」リリース。五反田簡易保険ホールでソロコンサート。
1990年 草月ホールで天野ソロコンサート。その後、天野は作詞作曲及びプロデューサーへ。
1997年 12月24日 NSP時代にお世話になった、IBC岩手放送北口氏の追悼ライブを岩手で決行。オリジナルメンバーでは1回限りのつもりだった。
2000年 平賀の企画で通販限定の5枚組CD+ビデオ「NSPスペシャル〜僕らを変えた季節たち〜」発売。3枚組CD「NSPシングルコレクション」には天野未発表曲や天野による「NSPのANOTHER STORY」も含まれる。通信販売ではかなりの好成績10.000セットを超え、思わぬヒットとなる。
2001年 7枚組CDセット、NSPライブ・ボックス「ライブはごきげん!」発売。
2002年 16年ぶりにオリジナルメンバーで復活。1月23日にセルフカバー・アルバム「p.s.NSP」をリリース。1月26日・日本青年館大ホールと2月3日・大阪厚生年金会館大ホールでコンサートを行い、チケットは即日完売!大成功をおさめ、再結成を待ち望んだファンの前に、復活をアピールした。このコンサート模様を収めた「NSP復活コンサート!!」のCDを10月に、DVDを12月にリリース。また、秋からコンサートツアー開始。12月22日には、品川プリンスホテルのメインバンケットホールにて、デビュー以来初めてのクリスマスディナーコンサートを行う。
2003年 記念すべきデビュー30周年。4月16日「NSPベストコレクション1973〜1986」をリリース。4月17日東京・北とぴあ つつじホールよりコンサートツアー「NSPコンサート 30(-16)th anniversary」をスタート!!8月には、復活後初めての「ファンクラブの集い」を東京六本木オリベホールで行う。予想以上に参加希望ハガキが多かった為、泣く泣く抽選にする。
2004年 1976年10月25日にリリースされた天野滋ソロアルバム「あまのしげる」が3/31にCDとして復活。春夏ツアーは復活後最多の17ケ所に。ニューシングル、アルバムのレコーディング開始。秋のツアーが9月20日から始まる。12月25日には、恒例になった品川プリンスホテルメインバンケットホールにてクリスマスディナーコンサートを行う。
2005年 遂に、1986年以来19年ぶりの新しいシングル「水のせいだったんです」と、アルバム「Radio Days」が2月2日に同時発売。3月12日、渋谷公会堂にて「CD発売記念コンサート」を行う。